TEO Side Story TEO Side Story
last updated 1997/05/18

第3話(全130話)

母さんの童話 (2/2)




 マリイアが童話を書きはじめたのは、そもそもピートの心を自由にはばたかせるためだった
。ピートのためにだけ、マリイアの物語は存在した。ピートの父親、マニックがアメリカから
の登山客を連れて冬のジルフ山へと登り、その頂きを目指したまま消息を断ったのが、ピート
が三才の誕生日を迎える四日前だった。アメリカ人たちは疲労困憊し、息も絶え絶えになりな
がら、しかしひとりも欠けずに救助されたが、捜索隊にアメリカ人たちの逃げ込んだ雪穴の正
確な位置を報せたマニックは、それきり地上から消えてしまった。彼はアメリカ人のパーティ
の中にひとり、ひどい喘息持ちの男が加わっていたことを秘密にされていた。そのことに気づ
いたのは中腹まで登ってしまった後だった。マニックはすぐさまパーティに下山を命じ、喘息
男を抱くようにして来た道を戻りはじめた。マニックの腕の中で、男はひどい発作を起こし、
立て続けに咳を連発し、それが雪崩の原因となった。ほんの小規模な雪崩だったけれど、それ
でもマニックたちの進路を絶つのにはじゅうぶんだった。進退窮まったマニックはアメリカ人
たちを何年も前に熊の親子が引っ越しをした後の洞穴へとアメリカ人たちを案内し、ここで救
助を待てと告げて、自分はひとり夜の帳が降りはじめた雪原へと駆け出して行ったのだという
。彼はモールス無線機のある山小屋を目指したことはわかっている。晴れた昼間でもゆうに七
時間はかかるはずのその山小屋まで、彼は半分の時間で辿り着き、そこから救助を求めてきた
こともわかっている。しかし、それがマニックについてわかっていることの最後で、その後彼
がどうなったのかは、雪と氷と風を抱いたジルフ山しか知らない。春の雪解けを待って捜索隊
が山に入ったが、マニックの靴の片方ひとつみつけられなかった。その報せを警察署庁から告
げられた日の夜、ピートの母マリイアは童話作家になった。パパはいつ帰ってくるの? そう
問いかけた幼いピートに、マリイアは涙を隠したやさしい笑顔で、ゆっくりとひとつの物語を
囁きかけてあげたのだ。
「お山の上まで行って、みんなをしあわせにする花を捜しているのよ。その花はお空とお山が
触れ合う場所に咲くの。でも咲いたかと思うと、すぐにしぼんで枯れてしまうので、咲いてい
る一瞬の花を捜すのはとても大変なの。大変だけど、パパはピートやママのために、いまもお
山のいちばんてっぺん、この大地の頂きでしあわせの花を捜しているのよ」
 幼い息子に冬山に消えた父親の死、という重い現実を背負わせまいとしたマリイアの作り話
だ。その作り話がマリイアのはじめての童話となり、それが出版社に伝手のあった知人の耳に
入った。そして翌年、ささやかな絵本として出版された。絵はピートが書いた。色鉛筆で書き
なぐった、子供らしい丸とグシャグシャの線。三つの時のピートがイメージをふくらませた山
の頂きに立つ父親の姿。そしてしあわせの花。それを集めて挿し絵にした絵本。それが母の作
家としてのデビュー作となった。まさかそのまま本当に童話作家になってしまうとは、母です
ら予想だにしていなかっただろう。けれど人生というのは、いつだって思いもよらない場所へ
と人を導いて行く。人生を司る悪戯妖精は、ピートからいきなり父親を奪い取り、そして母を
童話作家へと変身させたのだった。
 八年間にマリイアは三冊の作品を発表していた。八年に三冊は決して多い数ではないだろう
。けれどマリイアはその決して多くはない作品で、この八年間、ピートを養い育ててきたのだ
から、その作品がどれほど多くの読者を獲得し、愛され続けてきたかがわかる。マリイアの指
先から紡ぎ出されるファンタジーは、ピートの暮らしを支えてくれたが、そればかりではなく
、ピートの心の支えにもなってくれていた。ピートは母の語る物語に耳を傾けることで、父親
のいない淋しさを忘れられた。どこか空にいちばん近い大地を目指して懸命に歩みを進めてい
る父の姿を空想し、その逞しい姿と、月も砕けよとばかりの大声で喚き合いながら路地を横切
ってゆく、酔っ払ったクラスメイトの父親たちとを比較し、満足感に満たされたりもしていた
。母の童話は、そのまま亡き父親の代わりだった。なまじ現実の父親を覚えていたいぶん、ピ
ートは物語と空想の中に生き続ける父親を英雄として崇拝し続けていた。
 そんなピートをマリイアは微笑みながら見守り続けてくれていたが、しかし内心では自分の
夫が息子の心の中から消え去り、代わりにどこにも存在しない薄っぺらな英雄が、父親面して
座り込でいることに哀しい想いも抱いていただろう。ピートもいまならそうとわかる。彼もも
う幼な子ではなかった。一人前に、恋とか愛情とかいうものの存在と、そのきらめきを理解し
はじめていた。愛する人を失い、残された子供のために・・そして、自身の心の開いた空洞を
少しでも埋めようとするかのように・・ささやかな物語を紡がずにはいられなかった母の気持
ちも、ピートには理解できる。人は失ったものの代償を求めずには生き続けて行けないのだ。
たとえ、それが自分で組み立てたおとぎ話だとしても、そのファンタジーに身を浸すことで、
二度と腕に抱き締めることのできない宝物の代償にしないではいられないのだ。ピートはそう
いうことも理解できる年ごろになっていた。

(つづく)




Back Number


back

presented by son@ch-teo.com

Copyright(C)1997 FUJITSU LIMITED.
All Right Reserved.